12.進学と就職について考える 〜本当に自己責任?〜

つい最近、起こった出来事である。

同じ職員室にいる先生のところに、生徒が相談に来た。
大学進学を希望し、すでにある私立大学に合格している生徒の父親の経済状況が急に苦しくなったとのこと。
大学進学には、初年度に100万円以上必要とされるのに、そのお金が収められるかどうか分からないというのだ。
もう1月。
今から初年度納付金をアルバイトで稼ぐにしても時間がない。
比較的学費の安い国公立大学を受験するにも準備時間が足りない。
公的な奨学金や新聞奨学生も調べたが、もらえるのは4月以降になりそうだ。
大学から求められる納付時期に収められる目処はたたない。

本人はまじめな生徒で、本人に罪はないがどうしようもないものはどうしようもない。
自宅通学や公的な専門技術学校や就職も考えたらと相談し、とりあえず家計の状況を確かめて、というところでその日は終わったようだ。


このことで考えさせられたのが、まず、日本の学費の高さである。

ある資料によると、フランスでは授業料は0円で、必要なのは学籍登録料1万9千円だけ。ドイツでは原則無料で、一部の州では1万8千円の登録料。フィンランドでは無料の上に奨学金も充実。学生が学業に専念できるようにと生活費にあてることを目的にした返済義務のない奨学金があるようだ。

1966年に国連で採択された国際人権規約では、「高等教育の無償化にむけて努力すること」「すべての人がお金のあるなしにかかわらず均等に教育の機会があたえられるようにすること」と定められている(13条2項・C)。ところが、日本は国際人権規約は批准したものの、中・高等教育の無償化にかんしては“財政的にむずかしいから”と、ずっと「留保」の態度をとりつづけていると言う。同じような立場をとっている国は、経済的にたいへん苦しいアフリカのマダガスカルとルワンダしかない。

どうなってるんだ、日本政府。




もう一つ考えたのが、企業が雇うときによく使う言葉である。
「良い人材が欲しい」「もっと高い能力を身に付けた人材が欲しい」とばかり言う。
一見、当然のようにも思えるが、少し落ち着いて考えよう。
高い能力を身に付けるには、大学進学などが必要になる。当然、学費がかかる。
それだけでは足りず、ダブルスクールなどで資格取得を目指したりする。さらに、学費がかかる。
また、そうでなくとも、資格取得のための講座が花盛りだ。

「今までは、スキルアップの費用などは、親世代が支援できた。
 しかし、今は、その親世代もリストラだの賃金カットなどで、支援にも限界が来ている。
 そうなると、今まで、親世代の支援のために見えなかった若者の貧困が目だってくる。」
概略、このようなことを、「若者が『社会的弱者』に転落する 」という著書で、宮本みち子さんが述べている。

「良い人材が欲しい」という要求は分かる。
しかし、そのためにスキルアップの費用負担と労力は、すべて個人頼み。
親に頼るか、自分で稼ぐか、今風の言葉でいうと「自己責任」。
そして、高い能力や資格、スキルを持った者を優先的に雇う。


日本経済の将来を考えた時、それでいいの? と考えてしまう。
日本社会に、本当に高いスキルを持った人材が必要なら、
それは社会的に育てていくものでないの? と思う。


というわけで、企業も政府に学費の無償化を働きかけるなり、奨学金を出すなり、入社後のスキルアップのための給付や休暇を充実させたり、対策を考えて欲しい。

が、現実に企業、特に大企業が政府に働きかけているのは、
「年金財源の税負担」だの「法人税減税」だの「ホワイトカラーエグゼンプション」。
要するに、厚生年金保険料を払うのはイヤ、税金払うのはイヤ、残業代払うのはイヤ、に尽きる。
これって、社会的に人材を育てているの?


どうなってるんだ、大企業。