「原水爆禁止2004年世界大会」レポート

★「来てみないとわからない」核兵器・平和の真実

8月4日〜6日、広島の原水爆禁止2004年世界大会に参加してきました。

会場を埋め尽くす人、熱気、パワーに圧倒されました。

今回で参加は3回目ですが、毎回新しいことを知ったり、エネルギーをもらったりしています。

自分の感じた思いを少しでも伝えたいと思い報告と感想を書かせて頂きます。


【各国代表の発言より】

政府代表、団体代表、という人がたくさん来ていて、各国のいろんな話が聞けて勉強になりました。

「イラクからは撤退しました。アメリカの基地も追い出しました。『基地がなくなると、経済が不安定になる』と言い訳されてましたが、そんなことは全くありません。新しい活気が渦巻いています。」
と力強く語ったフィリピン代表の方。

「核実験による被爆者の補償を認めさせました。これからも各地での被害の告発、被害に対する補償の戦いを続けていきます。」
というマーシャル諸島の代表の方。

「来年は、200人の代表団で来ます。そのうち100人は青年を連れてきます!」
と強く宣言したフランス代表の方。

書ききれませんが、他にもまだまだたくさんの国から、代表の人がやってきていて、いろんな話を聞くことが出来ました。

来年2005年は核不拡散条約(NPT)再検討会議があります。 
核保有国も合意した「核兵器廃絶の“明確な約束”」。この合意の実行をさせなければいけません。

恥ずかしながら、こういう条約のことも、原水禁の大会に行くまで、「あ、そういえば」という感じでした。
意識の低さに反省させられました。日本が先頭にたたないでどうする!って感じですよね。


【平和を願う、青年がいっぱい!】

3年間連続で参加して、感じたのは、年々若い人の数が増えてきている、ということです。

二日目は、青年の分科会、そして、夜はピースジャムという青年中心のイベントに参加して、
その数の多さにびっくりしました。

青年の分科会では、被爆者を訪問したり、ワークショップを通して実際に体感したこと、感想、自分たちができることをグループで話し合う、という活動をしました。

私は、ワークショップのグループリーダーを務めたのですが、高校生、専門学校生、大学生と、勤めている人の中でも私より年下の人が本当に多かったです。(7人グループ中5人が私より下でした。)

涙ぐんで感想を話している人もいました。「私は、地域で、こんな活動を企画している、次はこれをしたい」という話を語る人もいました。

負けていられないなあ、がんばんないとなあ、と思いました。

ピースジャムでは、「NO WAR Tシャツ」を来ていたせいか、どうなのか、いろんな人に声をかけられました。

ブロック集会で講師をしてくれた方が、「養護学校で働いています。」と署名を集めていました。
多分高校生だと思うのですが、「去年、分科会一緒でしたね!」と声をかけてくれた女の子がいました。
大学のゼミの後輩が来ていました。
全教の方にもたくさんお会いしました。

こういうところで、みんながつながるのは、すばらしいなあと思います。


【たくさん感じて、学んだ3日間】

行ってみて思ったのは、「やっぱり、実際に来てみないとわからない」ということです。

今、核兵器が世界にたくさんあるんだ、とか、地球が何回壊れるくらいの核兵器の数、とか、
何年に何という条約があって、こういうことになっている、とか、項目や数字は知っていても、
被爆当時のことを知っている人の話を実際にきいてみることや、それを何とかしよう、と行動している人と話すことや、自分が実際に行動することが大事なんだ、と思いました。

平和祈念式典の時の、秋葉広島市長の
「今年の1年間、核廃絶のためのプロジェクトを展開します」
という力強い言葉に対して感じたエネルギーと小泉総理大臣の「平和憲法を遵守し、核廃絶に努めます」というすごく弱々しい聞き取れないような声への怒りは実際に聞いたものでなければ、わからない、と思います。(小泉首相の言葉には会場から、たった一人も拍手がなかった)

ぜひ、来年、被爆60周年の年には、みんなで行動し、実際に広島、長崎に行きたいです。
というか、行きましょう!

青年分科会で友達になった学生さんや若い人は、

「先生は平和について子どもとどう関わっているんですか?」
「これから大きくなる子どもと関わっている教育って、一番大事だと思うんです」
「『心のノート』のうわさを聞いたんですけど、詳しく教えて下さい。」
「日の丸・君が代問題は、今どうなっているんですか?」
などなど、教育現場に聞きたいことをたくさん持っています。
私たち教員が参加する、ということにはとても意味があると思います。
来年は、被爆60周年の年です。行動の年です。
広島・長崎の原水禁大会に、みんなで参加しましょう。




【つけたし】
広島は、とてもきれいな街でした。原爆ドームや平和公園はありますが、地下街などは、おしゃれな店がならび、原爆の爪痕を残すようなものはほとんど無くなってきています。

昨日、東京から一緒に参加した方と入ったお好み焼き屋さんのご主人は、「私のおばも、被爆者じゃよ」と淡々と話していました。

「被爆者なんて、みんなもう年寄りなんだから、 全員を補償してあげればいいのにねえ。」

「私は戦後生まれだけど、生まれた頃は、そこらじゅうに、被爆の後は残されていてね。平和資料館とかも行かされたからなあ。当たり前だったね。」
「でも、今広島の人は、かえってそういうことは考えていないのかもしれない。私も資料館にはここ最近しばらく行っていない。よそから来た人の方が、よっぽど平和のことを考えているよ」

これから被爆者の人がどんどん亡くなっていく中で、戦争の悲惨さをどう語り継いでいくのか、その難しさを感じました。

報告なのに長くなりました。すみません。
私たちも、自分にできることをやっていきましょう。