2006/12/26〜31 全教青年部ポーランド 平和の旅

★ポーランド平和の旅  アウシュビッツの忠告を受け継ぐのは、私たち
今年も全教青年部企画の平和の旅へ行ってきました。

映像ではよくみるアウシュビッツ強制収容所の引込み線と入り口。
これはビルケナウ絶滅収容所でした。
ビルケナウはアウシュビッツ2号として1941年に建設されたものです。
復元されたブロックもありますが、柱の部分だけ森のように広大な土地に残っていました。
この広大な収容所建設は囚人自身が行ったそうです。
第1アウシュビッツの正門には「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)と書かれており、
この門を毎日通りながら、強制労働へ行っていたそうです。

ビルケナウ


アウシュビッツ
実は5年前にも、ポーランドへ行きました。
そのときはワルシャワ近郊の「マイダネック強制収容所」を見学しました。
ここはいち早く開放された収容所だったので、比較的資料や建物が残っているところでした。
ここもその広さとそこで行われたことに、目を覆いたくなるような現実を突きつけられました。

それぞれの収容所の性格もあるでしょうが、アウシュビッツは「死の工場」と言われる所以がわかります。
ガス室や焼却炉、収容所で行われていた人体実験などどれをとってもその効率性とか規模とか囚人をうまく誘導するところとか、「ここまでやれるのか・・・」という気持ちになりました。

マイダネック強制収容所に、遺灰(だったと思う)の上に慰霊碑のようなものを建てたところがありました。
そこに「私達の運命が次の世代の忠告になりますように」とかかれていました。
アウシュビッツを見学し、自分が肌で感じたこと、考えたことをどうするのかが大事ですよね。


その日の夕方、私たちが宿泊させていただいた
国際青年会議会館の職員との交流がありました。
そこに勤めて10年というElaさんから、この国際青年会議会館の設立の経過や性格などうかがいました。

始まりはドイツの若者たちの「親の罪をはらう」ために自分たちは何ができるか、ということからだったそうです。
ドイツでは戦争の忌まわしい記憶が「次の世代の忠告」になったんですね。

どこに建設するのか、アウシュビッツの近くでいいのか、どんな性格の施設とするのか、議論が重ねられ、1986年にオシフィエンチム市とドイツの団体によって建物は建設されました。その後もプログラムの内容など、検討は続いています。

アウシュビッツに来るとその重さに口をつぐんだり、祈るような気持ちになったりして、
討論と対話の場とした青年会館が機能しないのでは、という危惧もあったそうです。
でも、やはり、アウシュビッツを見ること、感じることで、理解することが大事だろうと考えているそうです。

アウシュビッツ

ビルケナウ
ビルケナウ
会館では証言者の話を聞いたり、芸術、写真などのワークショップをひらいたり、
様々な人を対象としたプログラムを用意し、主にはドイツ人とポーランド人になるのでしょうが、
彼らが討論する場を提供しています。

同じ国民だって受けてきた教育、環境によって様々な考えがあるのに、国が違えばなおさらです。
討論の過程では、先入観や偏見もあって、けんかがあるんですって。
それは当然のものとして、どうして相手はそう考えるのかとか、そのけんかを乗り越えることで世界観が広がり、それが国民と国民の協和のプロセスなんだと言っておられました

すごーく、教育的で、感銘を受けましたね。

ヨーロッパにもネオナチのようなグループがあり、ドイツやポーランドの国民全員がこの施設に来るわけではありません。
でも、この会館が大事にしていることを広げるために、大事なことは何かという問いに
「寛容性と民主主義を維持するグループを育てること」
と言っておられました。

また、アウシュビッツで行われたような歴史の事実を教えることや、この会館で行っているようなプログラムを実践しようとすれば、
「“勇気”がいる。でも“勇気”を持って実践してください」
と言われ、
「Elaさんの話を聞けてよかったーーー!これだけで、ポーランドに来た意味があった!」と思えました。
(レポート ・ 全教青年部)