【特別寄稿】自分を好きになりたい

 
 現在、非常勤講師として仕事をするようになって五年目。去年の秋に、組合に入ってから一年が経った。最近、やっと自分を好きだと思えるようになった。表に出ている自分と、心の中の自分の距離が以前よりも近く感じるようになった。中学や高校の同級生の中には、安定した仕事に就き、結婚し、子供までいる人が増えてきている。三十歳を目前に控え、月収平均11万円の一人暮らし。実家に帰れば、親には「孫の顔が見たい」と言われる。以前の私であれば、劣等感にさいなまれ、毎晩のように泣いて過ごしていただろう。しかし今は、置かれた状況をただ嘆いているだけではいられない。私のような状況に置かれ、同じような苦痛を強いられている人が、全国にはたくさんいる。そして、その苦痛が、決して私自身の努力が足りないからでもなく、人として劣っているからでもないことが分ったから。

 「生い立ち」


 生まれた時から、競争原理の中で育ち、人と比べることで自分を評価することしか知らずに育った。どんなに頑張っても、どんなにいい結果がでても、周りがどんなに褒めてくれても、自信を持てることはなかった。まして自分を好きだと思えることなど全くなかった。友達はいつでもたくさんいたが、ありのままの自分を見せたことはなかった。「人は、共に助けあって生きてゆくもの」と教えられる一方で、人を蹴落としテストで一点でも高い点数を取ることに熱中していた。
 高校受験を前に、両親の離婚話が出た頃には、辛いことを「辛い」と言うのをやめてしまった。「辛い」と言わなくなると、次第に痛みも感じなくなっていった。両親の喧嘩をよそ目に顔色も変えず勉強していた私は、人としての心を失いかけていたのだろう。

「絵との出会い」

 絵との出会いは、堅い殻に閉じこもりカチカチに固まってしまいそうだった私の心に柔らかさを取り戻すきっかけを与えてくれた。
 中学の美術の先生の勧めで、高校入学と同時に通うようになった絵画教室は、それまで私が出会ったことのない世界だった。そこでは、他人との比較が問題ではなく、人は一人一人違うのが当たり前で、その一人一人に良いところがあること教えてくれた。私は、作品制作を通して自分と向き合い、自分にもいいところがあると思えるようになっていった。
 そしていつしか私は、絵を通して、自分と同じような辛い思いを抱え、自分を好きになれずにいる子供たちの力になりたいと思うようになった。これが教職へ向かう道のスタートにだった。

「挫折感」

 教職の資格をとれるその年の採用試験に落ちた私は、講師の仕事を希望してできるだけの手を尽くした。その結果、年度始めからの仕事は諦めようとしていた二月の末に、実家のある埼玉県でも、関東地域でもない、静岡県から仕事の話をもらうことができた。今思えば、六時間というあまりに心もとない時間数だった。けれど、その仕事の話が決まった時、嬉しさのあまり興奮して、なかなか寝つけなかったのを覚えている。これで、教師としての第一歩を踏み出せる!そんな期待でいっぱいだった。
 しかし、志高く静岡の地を訪れた私を待っていたものは、思い描いていた教師とは、かけ離れた非常勤講師としての現実だった。
〜経済的〜

 授業をやった時間数で、給料が決まるので、収入はいつも不安定。祝日や学校行事の多い月や、夏季や冬季の長期休暇は、収入が非常に少なくなり、楽しいはずの休暇も、手放しでは喜べない。月平均11万円前後の収入では生活できず、アルバイトをやらざるを得ない。学校の仕事が終わってからコンビニのおにぎりをほおばりながら、家庭教師の仕事へ向かう日が、週に三日前後。帰りは夜の十一時をまわることもあった。土日もアルバイトをやらなくてはならず、ゆっくり自分の時間をとれる日などない時期もあった。たまにまとまった時間がとれた時でも、日頃の睡眠不足を解消するべく眠ってしまうので、大切な絵を描く時間も、採用試験の勉強をする時間も、取れないのが現実。一年契約なので、次の年の仕事はあるかどうかも分らない。だから、毎年二月、三月は仕事が決まるまで精神的に最も辛い時期となる。

〜学校での立場〜
 非常勤講師は、職員室で肩身が狭い。正教員の方々はお昼御飯を食べる時間さえないくらいに忙しい。授業の空き時間も、昼休みも、放課後もいつでも仕事をしている。その中で、授業以外には何も仕事のない非常勤講師は、空き時間ともなると、特にすることも少なく、はたから見れば、まるで一人だけやる気のない人に見られてしまうような気がしてしまう。そう思われないように、一人だけ浮いた存在にならないようにと気を遣うので、授業をしている時よりも気疲れしてしまう。
 生徒のことで担任の教師に相談をしたくても、あまりに忙しそうなので、言い出しにくい。思いきって相談に行った時でも、「そんなことは、あなたが気にするようなことではない。放っておいてくれればいい。」と取合ってもらえないこともあった。
 生徒からも「先生、アルバイトなんでしょ?」とか「本当の先生じゃないんでしょ?」などと言われることも多く。常に、「お前は本当の教師ではない。」「責任を直接負えない立場の講師は、何においてもでしゃばるべからず!おとなしく授業だけこなしてくれればいい。」といつも念を押されているようで、悲しくなることもしばしばだった。
 そんな中でもたまには、とても親しくなれる人と出会えることもある。しかし、せっかく一年かけて築いた人間関係も、次の年には、職場が変わりふりだしに戻ってしまう。そんなことの繰り返しだった。
〜生徒とのこと〜
 特に、生徒との関係を作っていくことは、授業の時間しか関わることのできない非常勤講師にとって、一番難しい課題である。名前はなんとか覚えたけど、どんな個性をもっているかを理解するまでに一苦労。やっと自然に、話ができるようになったと思ったら、もう年度末だったりする。
 家庭の事情や、友人関係上での問題、生徒指導上の問題などの情報を知らなかったために、むやみに生徒を傷つけてしまったり、配慮の足りない対応をしてしまったこともあった。担任の先生方は忙しいのだから、いちいち生徒の事情を連絡してもらえないのは仕方ない。そう自分に言い聞かせてはみるけれど、やはり、共に生徒を育てていこうとする教師の仲間だとは、思ってもらえていないことが辛かった。

「生徒に教えられる」

 人間関係が希薄な生活の中で、いつも私を励まし、人として大切なことを教えてくれたのは、生徒だった。

〜S君との出会い〜

 問題行動を起こして高校一年の二学期に、退学になったS君に、担任の先生を通じて、彼が在学中に作った陶芸の作品を届けてもらったことがあった。その報告で、クラス一ツッパって態度も荒々しかった彼が、作品を前に涙を流していたと聞いた。私はその時はじめて、彼にとって美術の授業が、学校生活の中でかけがえのない大切な時間だったことを知った。自分の授業に対する意識の軽さや、S君の気持ちを察することのできなかったことが恥ずかしかった。S君は私に身を持って、授業の重さと、外見にとらわれずに生徒の心に寄り添うことの大切さを教えてくれた。
〜I君との出会い〜
 当時、私は非常勤講師でありながら、一月一万円で全寮制の寮母の仕事までやらされ、24時間拘束されているような生活を送っていた。その学校で出会ったI君は、とても大人しい、口数の少ない生徒だった。
 ある日の夕食後、希望者を募って、大きな絵を分担で描く企画があった。いつもは積極性のないI君が、この時は嬉しそうに自らメンバーに加わった。生き生きとした顔の表情からは、彼が一生懸命に制作しているのは明らかだった。しかし、その日、作業の遅いI君だけが、いつまでも描き上がらなかった。それまでは私は、生徒が真剣に絵を描いている時には、いつまでつきあっても苦にならないと思っていたのだが、この時は日頃の疲れもたまっていたせいか私はI君に向ってひどい言葉を言ってしまった。
「やる気がないのなら、やめなさい!」
 今でも、あの時のI君の顔を思い出すと胸が詰まる。I君は、黙ってしばらく考え込んでからおどおどした様子で、「ごめんなさい。頑張って描くので、最後までやらせて下さい。」と、私に謝りに来たのだった。
 この時の私は、教師というよりも人として、非常に醜い顔をしていたに違いない。謝りに来たI君に、「私も、強く言ってしまって悪かった。」と、取って付けたような言い方で謝ることはできても、教師という立場を利用して、生徒をストレスのはけ口にしてしまった事実は、消すことはできない。I君は、教師が一歩間違えれば人を育てるどころか、弱く優しい心を持った生徒を傷つけ、平気で自分を正当化することのできる、心のない人間になってしまうということを教えてくれた。

 生徒の心に寄り添い、力になりたいと思って教師を志してきたのに、なぜ平気で生徒を傷つけるようにまでなってしまったんだろう?非常勤という、経済的にも精神的にも非常に不安定な状態で、果たして生徒のためにどれだけ力を尽くせているのだろうか?私は、教師に向いていないのではないか?もっと他に自分を生かせる道が、あるのではないか?そんな疑問が次々とわいてきて、私は、年を追うごとに、自信をなくしていった。

「組合との出会い」


 講師になって四年目の秋に、組合に入った。組合は、正規教員だけのものだと思っていたが、講師の問題を自分の問題として真剣に考えてくれている人がいることを知って、救われるような思いだった。組合の一員として勉強していく中で、私も教師の一員なのだと思えるようになった。また、教師という仕事の責任の重さや、奥深さも知ることができた。同じような立場で同じような辛い思いを抱えている人が、たくさんいること。そして、その原因が、その人にあるのではなく、教育や福祉を大切にしない、日本の行政の在り方にあるのだということも見えてきた。

「自分らしく」


 今、私はようやく自分らしく生きてく方向を見つけられたように思う。不安や悩みがなくなった訳ではない。しかし、その悩みや不安の根本的な原因を見定め、向き合うことで、ひと回り大きくなるチャンスを手にする事ができるのだと、考えられるようになったのである。
 これからは、私が組合に救ってもらったように、多くの人を組合に迎え入れ、その一人一人が自分らしさを生かして、子供たちのために活躍していくことができるよう、力を尽くしていきたい。